ブレスの位置

前回中島みゆきの話がブレスのネタだったので、その続きというか・・・

男女問わずボーカルがその音楽を演出する際に最も大事な要素に挙げるべきもののひとつは「ブレスの位置」なのではないかと思う。

自分で何かの曲を歌っていても、ブレスの位置がふらふらと動いているうちは「まだこの曲は歌いこめてないなぁ」という気がするし、逆にその曲についての自分なりの「演出」が決まってきたときは、自然にブレスの位置が固定されてくる。

ブレスの位置を語る上で一番わかりやすい例は、カーペンターズの「Goodbye to Love」ではないかと思う。

この演奏をブレスの位置に注目して聴くとわかると思うが、ブレスの位置が

(I’ll say goodbye to love)

(No one ever cared if I should live or die)

(Time and time again the chance for love has passed me by  And all I know of love is how to live without it)

(I just can’t seem to find it)

(So I’ve made my mind up I must live my life alone)

(And though it’s not the easy way  I guess I’ve always known  I’d say goodbye to love)

(There are no tomorrow for this heart of mine)

(Surely time will lose these bitter memories  And I’ll find that there is someone to believe in And to live for)

(something I could live for)

(All the years of useless search  Have finally reached an end)

(Loneliness and empty days will be my only friend )

(From this day love is forgotten)

(I’ll go on as best I can)

こんな感じで、単純に息が続くか続かないかや、文の区切りでブレスをしているわけではないことがわかる。ブレスは音楽的な演出のひとつで、「歌う」という行為の大事な要素なのである。

中にはちょっと聴いていて息苦しさを感じるほど長いフレーズもあったりして、このへんはカレン・カーペンターの息の長さに舌を巻くしかないのであるが、彼女自身(もしくは演出をしている兄)がその必然を感じなければこんな無理をする必要もないわけで、歌うという行為でブレスの位置は大事なのだなぁと思わされるのである。

 

中島みゆきの衝撃

僕は結構な「中島みゆき」世代で、オールナイトニッポンも聞いていたのだが、何故か「中島みゆきのオールナイトニッポン」だけは聞いた記憶が数えるほどしかない。今では伝説にもなっているそのラジオプログラムについては、改めてここで書く必要もないほど人口に膾炙しているといえるだろう。

そんな数回の「中島みゆきオールナイト」体験だが、今でもはっきりと覚えていて自分の中で反芻しそのたびに驚きを新たにしているものがある。

あるリスナーからの葉書での「『あの娘』という曲のサビで女の子の名前をたくさん並べているところがありますが、息継ぎの場所がなく一気に歌えなくて困っている。どうすればいいか」という相談であった。

普通のシンガーなら、ブレスが続くようになる練習とかコツとか、目立たないで息継ぎできる場所とかを語るところであるが、中島みゆきはこんなことを言ったのである。

『中盤を過ぎたあたりに「ひろこ」という名前があるので、その「ひ」を息を吸いながら歌えばいいんじゃないか。ガハハハ。』

本当なのである。しかも実演までしたのである。

言っておくがこの歌、「あの娘をたとえば殺しても/あなたは私を愛さない」という、ちょっと男ならぞっとするような歌なのである。とてもギャグにできるような内容ではないのだ。

それを自らギャグにし実演までしてぐひょぐひょと下品に笑ってみせる中島みゆきのオールナイトニッポンを聴いて、僕はそっとラジオを消したのである。