planetarian 〜ちいさなほしのゆめ〜 アニメ化おめでとう!

七夕からアニメ「プラネタリアン」の公開が始まりました。

今日未明から第二話が公開されており、短いながらもとてもよくまとまっていて原作を知っている人も知らない人も十分に楽しめる作品になっていてしみじみと喜びを感じています。

第二話のキーワードは「ロボットの天国」だと言えるでしょう。

あまり書くとネタバレになってしまうのですが、ゆめみが立体映像で再現した職員たちの映像を鑑賞するポイントは

・ おそらくゆめみにもっとも近しい人たちで、別れの際に涙まで流してくれた人たちでさえ、無意識にゆめみの行く天国は自分たちの天国とは違うところだとつい語ってしまっている。

・ そしてその何気ない言葉が、ゆめみの「心」に大きな傷を植え付けてしまっている。

というところでしょう。

そしてこの先に、この話の大きなテーマが横たわっています。

作品として一般的な(というか「ありがちな」という言葉を使ってもいいかもしれません)創作をしてしまうと、このシーンで人間がロボットに天国を教えてあげる説明としては「ロボットも天国に行けば人間と同じ魂になって対等になるよ」という持って行き方が定石な感じだと思うのですが、この作品はその辺をスラリと外していきます。

そして最終回で明らかになると思われますが、ゆめみの受け止め方もここを外してくるのです。この辺がこの作品のすごいところなのでしっかり鑑賞してください。この部分が、ただでさえ悲壮なエンディングに追い打ちをかけるように暗い影を添えているのです。

第二話の最後でゆめみが寝落ちする直前に言いかけた言葉が、この作品の描く悲劇が物理的なものだけではないことを語っているのです。

 

planetarian 〜ちいさなほしのゆめ〜

このところすっかり「遅れてきた鍵っ子」である。

この土日はタイトルの「planetarian 〜ちいさなほしのゆめ〜」を鑑賞していた。

あらすじなどについては詳しいサイトが沢山あるので割愛するが、最後まで見た後で読書感想文的な整理をすると、

「プラネタリウムとて電源を失えば暗闇の中の金属とガラスのかたまりである。しかし人がそこに宇宙を感じることができるのならば、アンドロイドの中に命を感じることもできるのではないか?」

という感じである。

廃墟となった都市で誰にも知られず30年も客を待ち続ける美少女型アンドロイド、というだけでもう泣かせる気満々なのが伝わってくるが、そんなことは百も承知で見ているにも関わらず最後にはグッと来てしまうのはさすがの演出と言える。

どう転んでも悲劇的な結末になりそうな話で、案の定悲劇的な結末をむかえるのだが、何とかならなかったのだろうかという気がする。

誰かが自分の知らない間もずっと古びた機械とともに生き続けていて、自分が来るのを待ちつつ廃墟化していく、という設定はなかなか万能なのではないかと思い、これまで見たものの中から脳内検索してみたのだが、そこで出てきたのは「ニューシネマパラダイス」である。

と考えると、この話にも「ニューシネマパラダイスのオチ」的なものが付けられていたらもう少しエンディングの陰鬱な感じが晴れたのではないかと思われる。

うまく整理すれば2時間もののドラマとしてちょうどいいボリュームの話なので、このあたりを解決してぜひもう一度日の目を浴びてもらいたいと思わされる良作である。

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などと書いて下書きにしたまま忘れていたのが2月29日である。

今日YouTubeを見ていたら、「プラネタリアンアニメ化」のニュースが入ってきて仰天している。まさかまさか。

クラナド 18話 「逆転の秘策」

いまさらと言えば今更なのかもしれないが、アニメ「クラナド」にはまっている。このアニメについてはもういろんな人がさんざん書いているので僕が改めて書くようなこともないと思うのだが、ほかの人の解釈を読んでいて一つだけひっかかったことがあるので書いておこうと思う。

それは、18話 「逆転の秘策」で「藤林姉妹のどちらが先に泣いたか」ということである。

このアニメ、特にこの18話の「藤林姉妹と智代が朋也のことをあきらめる」件の演出が神がかっていて、そのこと自体はほかでも触れられているのだが、藤林姉妹の姉の杏が先に泣いたと思っている人が意外に多いような気がするのである。

実は僕も初見ではそう読み取っていたのだが、あの状況で姉が先に涙を流すという点に少し違和感があって、もう一度見直してみたのである。そしてよくよく見てみると、実は妹が先に泣きだしたと解釈すべきポイントが結構あるようなのだ。

一つは、椋が「今まで、本当に…」と言った時に椋を不自然に真後ろから見るカットになっていることである。これはもちろん杏の顔を正面から見る絵がほしかったとも考えられるが、そのために椋の後頭部をわざわざ見せる必要はないのではないかと思うのだ。

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もう一つは、杏の視線の動きとセリフである。上の絵で杏の視線ははっきりと椋にいっているが、その時杏が目にして「やだ…」と言ったものは、椋の涙だったのではなかろうか、という気がするのだ。そのあと杏は妹から視線を外して「もらい泣き」してしまうのである。もちろんそこには自分の気持ちの部分や、自分の気持ちに妹が気づいていたこともあったのだろうが。

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三つ目は改めて椋を正面から見たときの顔が「出来上がりすぎている」ことである。杏より後で泣き出したのならあそこまでぐしゃぐしゃにならないのではないかと思うのだ。

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そう思ってこのシーンを見てもらうと、椋が先に涙を見せる絵を「あえて見せずに」「でもよく考えればわかるように」演出しているように思えてくるのだ。そう考える方が自然なカット割りなのである。杏の視線の動きのみで椋の状態を表現しようとしているのである。

このシーンはもう五〇歳近いおっさんがもらい泣きをしてしまうほどの感動シーンなのだが、それとは別に本当に感心するしかないような作りになっている。

もう一つ際立っているのは智代の描き方である。

智代は「そういうことか…」と一言漏らした後、一度メンタルを立て直して試合に戻る。

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勝った後、泣いている姉妹の後ろで二人を見ながら虚ろな表情で棒立ちするのだ。一緒に泣きたい自分を押し殺すように。

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最後は智代の顔に寄りつつその目線の先の青空のカットで終わる。数分のシーンだが、本当に神がかった演出だと思う。

このアニメ、細かく見ていくと本当に勉強になることが多い。ブルーレイ買おうかなぁ…