遅まきなら電気自動車 i-MiEV

今乗っている車のエンジンが不調で、修理にかかるコストがだんだん上がってきたことと、子供がそこそこ大きくなり、順に受験シーズンを迎えることでめったに家族総出で遠出することなどなくなったことなどから、現状のミニバンからダウンサイジングして小型車以下に乗り換えを検討することになった。

そこでムクムクと湧き上がってきたのは、女房の車の使い方に関する問題である。とにかくちょこちょことどこに出かけるにも車を使うのだ。コンビニでも、小学校でも、駅でも、スーパーなどのどんなに短距離の外出でも自分ひとりしか乗らなくても1.3トン以上もある車を出そうとするのだ。

当然そのたびにセルが回ってエンジンが起動され暖気されるので、燃費の悪化が半端ないしエンジンにもバッテリーにも負担が大きい。近場は歩けと何度言っても止めてくれない。

以前から思っていたのである。こんな我が家が電気自動車を導入しなくてどこが導入するのかと。

そこで中古の市場を調べてみた。意外に安いじゃないか。乗り出し100万ぐらいの値段でi-MiEVがごろごろしている。ちょうど試乗車が中古市場に出てくる時期なのかもしれないし、もしかすると色々あって三菱車全体が値崩れしているのかもしれない。

そんなわけで、ディーラーに相談して、ちょうど乗り出し100万ぐらいのi-MiEV Mを契約してきた。

もちろん充電設備の新設なども必要なので、損得で考えるともしかするとちょっと微妙なところもあるのかもしれないが、それ以外の心の損得まで勘定すると十分に満足できるのではないかと思いたい。ということで整理してみた。

心の得

  • 真夜中に車を出すのに近所に気兼ねが無い
  • ちょこまか使っても燃費の悪化=罪悪感がない
  • なんか未来っぽくていい
  • 女房に「ガソリン代ちょ~だい」と言われる度に「車使いすぎ!」などと小言を言わずに済む。
  • 女房に「ガソリン入れてきて!」と言われなくて済む。
  • 電気以前に三菱iはやっぱりカワイイ!(子供が二人だったころにターボの乗ってた)

心の損

  • 音が静かすぎて女房が帰ってきたのに気付かない
  • 燃費が10分の1ぐらいになるので乗りすぎてタイヤが減りそう(タイヤは高い)
  • そこはかとなく、夢のまま終わってしまい到来しなかった未来の香りがただよう…
  • 雨の日に「ガソリン入れに行ってくる」と言って車を出し、近所のポータルを復旧しに行けなくなる(Ingressの話)
  • i-MiEVは、電気自動車である以前に三菱iの個性的なデザインのほうが目立ってしまい、デカールなど貼らないと電気自動車だと気付いてもらえない。

途中から変にネタっぽくなってるなぁ…

にしてもこんなに納車が楽しみなの、新車で三菱iを契約したとき以来かも。

planetarian 〜ちいさなほしのゆめ〜 アニメ化おめでとう!

七夕からアニメ「プラネタリアン」の公開が始まりました。

今日未明から第二話が公開されており、短いながらもとてもよくまとまっていて原作を知っている人も知らない人も十分に楽しめる作品になっていてしみじみと喜びを感じています。

第二話のキーワードは「ロボットの天国」だと言えるでしょう。

あまり書くとネタバレになってしまうのですが、ゆめみが立体映像で再現した職員たちの映像を鑑賞するポイントは

・ おそらくゆめみにもっとも近しい人たちで、別れの際に涙まで流してくれた人たちでさえ、無意識にゆめみの行く天国は自分たちの天国とは違うところだとつい語ってしまっている。

・ そしてその何気ない言葉が、ゆめみの「心」に大きな傷を植え付けてしまっている。

というところでしょう。

そしてこの先に、この話の大きなテーマが横たわっています。

作品として一般的な(というか「ありがちな」という言葉を使ってもいいかもしれません)創作をしてしまうと、このシーンで人間がロボットに天国を教えてあげる説明としては「ロボットも天国に行けば人間と同じ魂になって対等になるよ」という持って行き方が定石な感じだと思うのですが、この作品はその辺をスラリと外していきます。

そして最終回で明らかになると思われますが、ゆめみの受け止め方もここを外してくるのです。この辺がこの作品のすごいところなのでしっかり鑑賞してください。この部分が、ただでさえ悲壮なエンディングに追い打ちをかけるように暗い影を添えているのです。

第二話の最後でゆめみが寝落ちする直前に言いかけた言葉が、この作品の描く悲劇が物理的なものだけではないことを語っているのです。

 

planetarian 〜ちいさなほしのゆめ〜

このところすっかり「遅れてきた鍵っ子」である。

この土日はタイトルの「planetarian 〜ちいさなほしのゆめ〜」を鑑賞していた。

あらすじなどについては詳しいサイトが沢山あるので割愛するが、最後まで見た後で読書感想文的な整理をすると、

「プラネタリウムとて電源を失えば暗闇の中の金属とガラスのかたまりである。しかし人がそこに宇宙を感じることができるのならば、アンドロイドの中に命を感じることもできるのではないか?」

という感じである。

廃墟となった都市で誰にも知られず30年も客を待ち続ける美少女型アンドロイド、というだけでもう泣かせる気満々なのが伝わってくるが、そんなことは百も承知で見ているにも関わらず最後にはグッと来てしまうのはさすがの演出と言える。

どう転んでも悲劇的な結末になりそうな話で、案の定悲劇的な結末をむかえるのだが、何とかならなかったのだろうかという気がする。

誰かが自分の知らない間もずっと古びた機械とともに生き続けていて、自分が来るのを待ちつつ廃墟化していく、という設定はなかなか万能なのではないかと思い、これまで見たものの中から脳内検索してみたのだが、そこで出てきたのは「ニューシネマパラダイス」である。

と考えると、この話にも「ニューシネマパラダイスのオチ」的なものが付けられていたらもう少しエンディングの陰鬱な感じが晴れたのではないかと思われる。

うまく整理すれば2時間もののドラマとしてちょうどいいボリュームの話なので、このあたりを解決してぜひもう一度日の目を浴びてもらいたいと思わされる良作である。

~~

などと書いて下書きにしたまま忘れていたのが2月29日である。

今日YouTubeを見ていたら、「プラネタリアンアニメ化」のニュースが入ってきて仰天している。まさかまさか。

クラナド 18話 「逆転の秘策」

いまさらと言えば今更なのかもしれないが、アニメ「クラナド」にはまっている。このアニメについてはもういろんな人がさんざん書いているので僕が改めて書くようなこともないと思うのだが、ほかの人の解釈を読んでいて一つだけひっかかったことがあるので書いておこうと思う。

それは、18話 「逆転の秘策」で「藤林姉妹のどちらが先に泣いたか」ということである。

このアニメ、特にこの18話の「藤林姉妹と智代が朋也のことをあきらめる」件の演出が神がかっていて、そのこと自体はほかでも触れられているのだが、藤林姉妹の姉の杏が先に泣いたと思っている人が意外に多いような気がするのである。

実は僕も初見ではそう読み取っていたのだが、あの状況で姉が先に涙を流すという点に少し違和感があって、もう一度見直してみたのである。そしてよくよく見てみると、実は妹が先に泣きだしたと解釈すべきポイントが結構あるようなのだ。

一つは、椋が「今まで、本当に…」と言った時に椋を不自然に真後ろから見るカットになっていることである。これはもちろん杏の顔を正面から見る絵がほしかったとも考えられるが、そのために椋の後頭部をわざわざ見せる必要はないのではないかと思うのだ。

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もう一つは、杏の視線の動きとセリフである。上の絵で杏の視線ははっきりと椋にいっているが、その時杏が目にして「やだ…」と言ったものは、椋の涙だったのではなかろうか、という気がするのだ。そのあと杏は妹から視線を外して「もらい泣き」してしまうのである。もちろんそこには自分の気持ちの部分や、自分の気持ちに妹が気づいていたこともあったのだろうが。

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三つ目は改めて椋を正面から見たときの顔が「出来上がりすぎている」ことである。杏より後で泣き出したのならあそこまでぐしゃぐしゃにならないのではないかと思うのだ。

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そう思ってこのシーンを見てもらうと、椋が先に涙を見せる絵を「あえて見せずに」「でもよく考えればわかるように」演出しているように思えてくるのだ。そう考える方が自然なカット割りなのである。杏の視線の動きのみで椋の状態を表現しようとしているのである。

このシーンはもう五〇歳近いおっさんがもらい泣きをしてしまうほどの感動シーンなのだが、それとは別に本当に感心するしかないような作りになっている。

もう一つ際立っているのは智代の描き方である。

智代は「そういうことか…」と一言漏らした後、一度メンタルを立て直して試合に戻る。

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勝った後、泣いている姉妹の後ろで二人を見ながら虚ろな表情で棒立ちするのだ。一緒に泣きたい自分を押し殺すように。

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最後は智代の顔に寄りつつその目線の先の青空のカットで終わる。数分のシーンだが、本当に神がかった演出だと思う。

このアニメ、細かく見ていくと本当に勉強になることが多い。ブルーレイ買おうかなぁ…

Ingress無情

Ingressを始めて3週間ぐらいになる。やっとレベルが7になってそこそこ戦えるようになってきた。

しかしこのゲーム、結構生々しいというか、戦いの無情さを肌で感じられるところがある。

ある日、都内にある仕事場の近くに最近生えたポータルを、どれくらい長く維持できるか、試しに朝から晩まで暇さえあればリチャージし、時にはまさに攻撃を受けている最中だったりして、みるみる減っていくレゾネータに「死なないでー!生きてぇ!」と心の中で絶叫しつつ相手があきらめるまでひたすらリチャージをしたりしたのですよ。

それでも何とか無事に帰る時間を迎え、シールドなど挿して万全の体制を整えて岐路についたわけです。

そうしたら会社を出て15分もしないうちに強力な攻撃を受け、リチャージも間に合わずわがポータルは半日で敵の手に落ちたのでした。

結構情が移っていたそのポータルを奪った敵がそれに何をしたかというと、L1のレゾネータを1本だけ挿して去っていったのです。

よっぽど会社に戻ろうかと思いましたよ。

イメージとしては完全に、戦友が敵に首を取られてさらし首になってるのを見た感じですよ。

しかし戻ることもできなかった僕が何をしたかというと、帰路にある敵の某ポータル密集地帯でL7のバスターを収支など無視して力の限り放ち、真っ白になった廃墟にL1のレゾネータを1本ずつ挿して回っておりました。

その時そこにあったのは、四人の子を持つ人間でも、依頼された仕事を頑張ってこなすプログラマでもなく、ただの狂人であったのでしょう。

そして今はただ、スマホの電源を入れっぱなしにして自転車で走り回り、XMを集めては傷ついた誰か知らない人ののポータルにリチャージして回るという、出家をした武士のような生活を送っているのでございます。

いやこの行いはリチャージなどという軽薄なものではなく「利捨解」とも呼ばれるべき行為なのでございます。

(都内ではオーナーが変わらないまま朝を迎えられたポータルはかなり運がいい方であることがわかってきたのはレベルが8を超えたころでした)

乾くるみ「セカンド・ラブ」

「イニシエーション・ラブ」、「クラリネット症候群」に続いて読んでしまった。正直、面白い。

この「セカンド・ラブ」という作品が面白いのは、その作品そのものというよりも「イニシエーション・ラブ」の読者に読まれるという本書の位置づけの方なのではないだろうか。

読者は当然「今度は騙されないぞ~」と、最初から目を粉にして読んでいくだろうから、作者としては当然それを想定して、それをどう裏切って読者を納得させるような着地点を見つけるか、というところが執筆開始時の目標だったに違いない。

結果、ミステリーっぽいオチに読者の注意をひきつけておいて他のところで落とす、という戦略に出たものと思われる。そしてそれは、大多数の読者にとって十分効果的だったのではないだろうか。実際僕も作者の意図通りに楽しませてもらった。

ただ、読みながら書いたメモに「春香はなぜ二役をしていたのか」「元やくざは何だったのか」という記述が残されていて、Web上の他の人の感想を見てもやはりヒロイン(というか相当な悪女なのだが)の行動に必然性を感じないという声が多いようだ。

後者はともかく、前者に関しては僕は何となく自分の解答のようなものを得ている。

春香は、実は「美奈子に取り憑かれている」ような状態だったのではないか、と思ってしまうのだ。「見える体質」なのだから、そのようなことがあってもいいと思う。ラストで、春香がシェリールでとった行動について妙に第三者的な語り語りかたをしているのも気になる。春香がシェリールに現れた時期と、美奈子が自殺した時期も時系列として合っている。著者がそういう想定で書いたと思えなくもないのだ。

「取り憑く」と言えば、この著者が「マリオネット症候群」を書いていることも興味深い。そもそもそういうのに抵抗がない小説家なのである。

もう一つのナゾ、元やくざの倉持の件にはどうにも説明を付けられない。この作者がこれほどの伏線を投げ出すとも思えないのだが…

 

 

それは障害児ときょうだい児の愛の物語…か?

ここ数日何度も何度も「アナと雪の女王」を頭の中で反芻している。

この物語が「同性愛を肯定している!」と言われているという話をどこかで読んだ。まぁ確かにそう読めなくもない。最後の方でエルサがアナに

「私のために犠牲になってくれたの?」

と質問するくだりがあるのだがこれへのアナの返答が

「…I love you.」

なのである。

英語圏のloveは、日本語として使われるときのニュアンスよりもずっと広い意味で使われるので、これを兄弟愛と解釈しても何の問題もないのだが、逆に言えば同性愛として解釈することもできることになる。

ちなみにこの部分、字幕では「だってあなたの妹だもの…」というような訳がついていたと思う。直訳すると日本人には同性愛的なニュアンスしか感じられないと翻訳者も思ったのだろう。

さて、そんな解釈もできる「アナと雪の女王」だが、別の見方もできるように思われる。

それは、エルサの能力を「障害」ととらえると見えてくる。

制御できない超能力を持つということは、普通の人の中で普通に生きていくことが難しいという意味で、これは正に健常者の中での障害者と同じポジションとなる。そういう見方をすると、この物語は「自分の障害とどう向き合っていくか」を表すと共に「子供や兄弟の障害とどう向き合っていくか」という非常に重いテーマを持った作品のように感じられるから面白い。

脚本家の意図は分からないが、障害児を持った親がどう振る舞うべきなのか、障害児の兄弟はどうなのか、この物語はこの物語なりの解答を出してくれているように思う。これ以上はないほどのきれいごとにしか感じられないかもしれないが。

見る人によって全然別の解釈ができる「アナと雪の女王」是非見てみてください。できれば吹き替えと字幕の両方がおすすめです。

大きなゆきだるま~

映画「アナと雪の女王」の吹き替えを娘と見てきて、ついでにサントラも入手してと、なんだかズッポリはまっている状況である。

で、英語の歌詞でサントラを聴いていると、ところどころひっかかるところがある。日本語の歌詞が英語の歌詞と全然違う部分があるのである。

「アナと雪の女王」の翻訳者はずいぶん苦労されたと思われるし、結果としていい仕事をしているとは思うのだが、それでも文字数の関係で吹き替えでは恐らくかなりの逡巡を経て今の歌詞があてられているのではなかろうか。

それでも、だいぶ意味が変わってしまっている、というか結構大事なところが削れてしまっていると思える部分がいくつかある。

たとえば、「雪だるま作ろう」で、幼少期のアナは鍵穴に口をあけて「大きな雪だるま~」と日本語で歌っているのだが、この部分の英語の歌詞は「It doesn’t have to be a snowman」である。直訳すれば「雪だるまにならなくてもいいからさぁ」という意味だ。

アナはなぜこんなことを言っているのだろう。

日本語でアナはエルサに「雪だるま作ろう」と言っっているが、これも元の詩の直訳は「Do you want to build a snowman?」(あなたは雪だるまを作りたいと思わないの?)である。「作ろう」と言っているのではないのだ。「作ってよ」と言っているのである。

アナがエルサに事情も知らず無邪気にお願いして断られるこの構図は、氷の宮殿でアナがエルサにアレンデールを救ってほしいと頼む状況と同じである。氷にの宮殿に向かうアナもその願いがかなえられるという根拠は何も持っていなかったし、心のなかで「やっぱ無理かも」という気持ちがあったはずである。何度もわざわざ「大丈夫よ」と繰り返す様子を見てもそのことが窺える。

この「氷の宮殿での説得失敗」を、この最初の段階でさりげなく歌の中に織り交ぜて示唆しているのがこの「It doesn’t have to be a snowman」という歌詞なのではないかと思うだ。

この映画では、「愛と怖れ」が大きなテーマとなっていて、その対象関係がいろいろなところに投射されている。「アナとエルサ」「オラフとマシュマーロウ」「アレンデール宮殿と氷の宮殿」といった具合である。

つまりこの物語で「雪だるま」はアナとエルサの間の愛の象徴として登場しており、ストーリーの全編を通して大きな意味を持たされているのだ。

アナがエルサに雪だるまを要求するというのは、宮殿でエルサに「一緒に暮らそうよ」と呼びかけるのと同じことなのである。

雪だるまと言えば、エルサが「Let it go」を歌いながら残った片方の手袋を高く投げあげ、自分の解放を宣言した直後に無意識に作ったものがこの雪だるまだったことも非常に意味が深い。怖れから解放された魂から最初に出てきたものが愛の象徴だったのだから。

このあたりの描写をあまり口説くならないようにサラッと見せているところは本当に上手いなぁと思わされる。何度も鑑賞に堪えるというか、見るたびに発見があって飽きさせないし、様々な解釈ができるのである。名作というのはこういうものなのだなぁとつくづく思う。

早く日本版ブルーレイでないかなぁと。

DACとスピーカ

長らくオーディオ関係から遠ざかっていたのだが、ウォークマンの買い替えと共に何故か再び火が点いてしまった。

先日SONYから発売になったUDA-1というDAコンバータと、それにセットっぽく発売されているスピーカSS-HA3を部屋に連れてきて、そのためにホームセンターで板を買ってきて棚など自作したところ。

http://www.sony.jp/system-stereo/

ホストPCは、ノートとしては静かなMacBookProがあまり使われず放置されていたのでそれを使用している。正直Windowsほどいいソフトが揃っていない気がするのだが、QH77はファンの音がうるさいのでこれでよしとしよう。QH55/Mが出たことでQH55/Jが値崩れしたら、それを買ってこようか思っている。

肝心の音は、この価格でこの音なら十分納得である。日本の住宅事情を考えたシステムというか。棚で頭の高さぐらいまでスピーカを持ちあげてやると、あまり大きな音にしなくとも侮れない音場ができあがる。スピーカの前から離れたくなくなるほどである。流石にドックスピーカとは次元が違う。

カナル型イヤホンXBA-H3の音もなかなかのものだが、ずっとつけていると耳が壊れるのではないかという不安に付きまとわれるので、家にいる時はDACを使うことにする。

 

エースかばん

もう10年も使っていたビジネスバッグを新調した。これまで使ってきたのは、ハンドルの部分がブラウンの皮になっているエースかばんのAceGeneというブランドのものである。

こんな感じの。

http://auction.item.rakuten.co.jp/11899713/a/10000007/

このバッグ、何がいいといわれてもちょっと困るぐらい自然に自分の一部になっている感じで、パソコンとその他とちょっとした雑誌を入れた上で、サイフやら名刺入れやらDAPやら常備薬や扇子やハンカチやいろいろ持ち歩いているものが鮮やかに収まる使い勝手で、ボロボロになっても代替のものが見つからず、使い続けていたのでした。

しかしさすがにみすぼらしくなってきたので買い替えを模索していたのですが、先日秋葉ヨドバシで買ったものはいまひとつ馴染めず、気が付くとボロボロのAceGeneを持ち出している。

かくなる上は、AceGeneの後継はAceGeneしかないのかと、調べてみると、ちょうど今通っている仕事場の近くにAceカバンの直営店があったので、今日仕事帰りに寄ってきました。

で、お店に着いて「このカバンが気にっているんですが、これの後継モデルってあります?」的な質問をお姉さんにして、めでたく後継になりそうなバッグを手に入れることができたのでした。

http://store.shopping.yahoo.co.jp/aceonlinestore/28787.html

現行モデルは、若干ポケットが減っている気がしたのですが、これまでのバッグに入っていたものを全部移してみるとちゃんと収まる。すばらしい。しかも各部のツクリがきっちりよくなっていて好感触です。また10年このバッグでがんばれそう。